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TSUKAMOTO's 02page

NO.6<1000MIGLIA (報告その3)>
147 TSUKAMOTO-TSUKAMOTO PANHARD DYNA 1952 GIAPPONE
02乗りがミッレミリアに参戦。完走する!!
(Special thanks 塚本)Since1999/05/27


昨日に続いての第3弾です。今回でお終いです。
本当はもっと沢山写真を撮ったのですが、スキャナが無いものですから、
デジカメで撮った下手くそな画像ばかりで恐縮です。
先日、イタリア語の教室にミッレの写真を持参したところ好評でした。その中で一人、クルマ好きのおばさんがいて、かつてジャガーEタイプやアルファ・ジュリア・スプリント、さらに02を新車で乗っていたことがあったそうです。私も今02に乗ってる、なんて話して、さらに発売当時の話を聞かせてもらいました。おばさん曰く、当時すなわち68年か69年、アメリカでもBMWを知っている人は皆無で、彼女もジュリア・スプリントのメカニックに勧められて初めて知ったそうです。当時、一般で02のデザインは人気がなかったようで、車輪のついた箱、といったイメージだったそうです(そのままか)。それでよく人に「これ、何てクルマ?」と尋ねられたそうです。実際彼女も、今まで乗ったクルマの中で一番醜いクルマだった、と言っていました。ですが、その性能は当時のどのアメリカ車と比べて素晴らしく、特に燃費は、サンノゼとサンフランシスコを8回往復できるほど(うーむ、分かりづらい表現ですね)で、さらにサンフランシスコから、東海岸のニューヨークまで3度02で行ったけど、故障は皆無だったそうです。結局8年乗って、故障は一度もなく、タイ ヤとオイルの交換をしただけ、だそうです。私は、「さすがはドイツの技術ですね。私の02は故障ばかりですけど」なんて言っていました。うーむ、やはり02って名車ですよね。
今回は、ブガッティT35・ランチア・アプリリア・マセラティです。

ブガッティT35
エットーレ・ブガッティはフランス人だが、イタリアに生まれ、
代々彫刻家の家系だった彼はそこで美術を学び、後にドイツで自動車作りを学ぶ。
イタリアの造形美、ドイツの技術、そしてフランスの自由の精神が融合したクルマこそブガッティである。
現代の戦闘機のように、全く無駄がなく、美しい。レース後ブレシアにて。

ランチア・アプリリア
今回レース中、我々のパナールとほとんど一緒に走っていたアプリリア。
このイタリア人のオーナーは、多くの参加者がそうであるように、夫婦での参加だった。

マセラティ
マセラティのボディに誇らし気に書かれた参戦の記録。
つまり今年で14回目の参加か。

実は、ブガッティやアプリリアも好きですがスペックを知りませんので、
ちょっとお茶を濁すようなコメントです。
マセラティにいたっては、タイプを忘れてしまいました。
たしか300Sだと思ったんですけどねえ・・・
もっと勉強しておきます。間違い等ありましたら訂正お願いします。

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